どうもプロサラです。
今から約50年前、高度経済成長期も後半に差し掛かった頃に社会人になったプロサラの親世代の人たちがいます。彼らはモーレツ社員として会社に人生を捧げることがメインの価値観でした。一方で現代はどうでしょうか?
今社会人になった若者はモーレツ社員ではなく、サラリーマンは適当にやりながら自分でサイドビジネス(副業)を立ち上げる人たちが増えているように思います。この対比を資本主義の観点から考察すると面白いので書きます。
資本主義経済に反対した学生が資本主義に呑まれていった時代
当時は左翼による学生運動が盛んな時期でした。政府の政策に反対する過激派の学生が、大学を占拠して立てこもる事件(東大安田講堂事件)などが頻発した時代でした。多くの学生はノンポリ(中立)ではあったと思いますがどちらかというと左翼思想が優勢だった時代に思います。
端的にいうと資本主義体制ではなくマルクス主義的な社会主義経済・体制を支持する風潮があった時代ではないでしょうか?そんな学生たちは新社会人となると一気に資本主義経済を支える労働力と化していきました。
すなわち、モーレツ社員となり、自分の全労働力を会社へ注いだのです。社会主義的な左翼思想に少なからずとも影響を受けていた人たちが一気に資本主義経済を支える労働者になった皮肉はウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神ばりの社会学的考察ができそうです。とはいえ、当時はそれが正しい道でした。会社へ忠誠を誓うことで生活が保障されていた時代だったのです。
(参考)プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
テクノロジーのイノベーションにより時代は変わった
ところが、今はどうでしょうか?バブル経済の崩壊と失われた10年、日本の低経済成長と大企業の倒産やそれによるリストラ・・・、と会社に対する信用は失われてしまっています。今いる会社で働き続けても将来の生活が保障される訳ではありません。
そんな風潮が支配的な世の中になっているのではないでしょうか。一方でインターネット技術、PCやスマートフォンなどのデバイスやそれらに組み込まれるアプリケーションのイノベーションにより状況は大きく変わりました。
自分で商品やサービスを作ることが容易になり、会社へ労働力を売らなくても自らがプチ資本家になる道ができたのです。
現代の若い人の思想
そんな中、これから社会人になる人、30代くらいまでの若いサラリーマンはどのような行為戦略が求められるのでしょうか。上述の通り、サラリーマンとしては働くものの50年前のようなモーレツ社員に好んでなる人はいないでしょう。
むしろ、会社での労働時間をできる限り少なくして副業で自分のビジネスを持つ人が多くなるのではないでしょうか。低成長により企業収益が圧迫される中、例え昇進したとしても給与が大幅に上がる時代は終わりました。
そうであるならば、自分の貴重な人生の時間を会社に捧げるのではなく、自分のために使う事が合理的な行為戦略といえるでしょう。すなわち、自分のビジネス(副業)のために自分の時間および金銭を投資して、自分で稼げるプチビジネスを行うようになるのです。
別の意味で資本主義が増強されていく時代
これを50年前の対比で考えると興味深いです。50年前は資本主義への反動としての社会主義、左翼主義が支配的でしたが、当時の若者は会社へ就職し、資本主義を増強していく労働者としての役割を担うようになりました。
これは資本家がますますその資本を増強していった(会社が大きくなっていった)時代といっていいでしょう。労働者もその恩恵を給与アップという形で受けられた時代でした。一方で現代はどうでしょうか?
若者は資本家(会社)に対する労働者として労働力を提供はしますが必要以上の労働力は提供しません。なぜなら先行きが不透明で企業に対する信用が失われているからです。その一方で自分のビジネス(副業)に投資を行い、自らがプチ資本家になる動きが出てきました。
これを支えているのがデジタル領域での技術革新です。現代は現代で資本主義経済が増強されている時代ではありますがその意味が50年前とはまったく異なります。50年前は労働力として資本主義経済を支えていた若者が、今では自らがプチ資本家になることで資本主義経済を支えるようになっている時代なのです。
資本家への道がテクノロジーによって万人に開かれた時代といっていいでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
50年前と今では環境変化に伴い価値観は大幅に変化したように思います。当たり前の事ですが、何十年も前に社会人になった年長者の言う事を真に受けても時代は変わっていますので失敗する確率は高いです。成功するためには同時代を生きている人、同年代で突出したアウトプットを出している人を参考にした方がよいでしょう。先人に学ぶのではなく同時代人に学ぶのです。それが現代を生きる術のように思います。