どうもプロサラです。
以前に本ブログで「こんな会社は勤めるな!」シリーズが好評でしたので、実際にブラック企業に入社してから脱ブラックまでの5年間を「脱ブラック体験記」としてシリーズ化しました。Part8は、ブラックに染まり続け、2年連続で成果給を受給しつつ脱出プランを練ることになったことについてです。
こんな会社は勤めるな!シリーズも一緒にご覧下さい。
(参考)こんな会社は勤めるな!
スキルと経験が身に付いてきた4年目
4年目になるとスキルと経験を積み、さらに3年目に好成績を収めたので自信がつきました。3年目は無我夢中で頑張っていましたが、4年目は抜きどころもわかってきたため、力を入れるところと抜くところにメリハリをつけながら仕事をしていました。
そんな中、5年目以降をどうするか考えるようになりました。1年目に登録した転職エージェントに再び登録しなおし、エージェントとも会うようになりました。当時は2010年、リーマンショク以来の不景気の時期でした。
市場は厳しく先行きも厳しい状況
世の中の市場環境はよくなく、日経平均も1万円を割り込んでいた時代です。そんな中、プロサラが所属していた部署が手がけていた保険代理店も将来的には非常に厳しい状況になることが予想できました。人口減少によるマーケットの縮小、スマートフォンや、インターネットを通じた保険会社が世に出始めたタイミングでした。
このような状況下で先行きに非常に不安を抱いていたプロサラは早く転職した方がいいと真剣に辞めることを考え出していました。
(参考)AIに代替される職業 保険代理店
転職を試みるも同じような職種・業界でないと厳しい
転職エージェントに相談して求人を紹介してもらいました。すると、紹介して出てくる求人は同じような保険代理店の営業職やライフプランナーと呼ばれる保険会社の独立系の営業職ばかりです。営業以外の仕事や異なる業界を紹介してくれと言っても業界経験がないため難しいと言われてしまいました。
MBA留学という選択肢
そんな中、2010年に学生時代の友人がインドネシア人と結婚するとの知らせを受け、インドネシアへ行きました。そこで出会った人たちが皆英語で会話していた事、自分がその輪に入ることができなかった事にショックを受けました。そこから英語を学びたいと思うようになったのと、MBA留学という選択肢があることをネットや書籍で調べるうちに知りました。2010年の末のことです。ちょうど会社へ入社して4年目の年度末のことでした。
(参考)MBA留学のきっかけ
留学することを意識するようになる
2010年の終わりくらいから3年目と、4年目の結果に対する成果報酬と自分が今まで貯めてきた資金を留学に投資したらどうなるだろう?などと考えながらシミュレーションをするようになりました。こうやっておぼろげながら脱ブラック企業のプランを考え出したのが入社4年目の終わりから5年目のはじめにかけてでした。
続きは次回へ・・・